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土居 洋平(どい・ようへい)
跡見学園女子大学 観光コミュニティ学部 コミュニティデザイン学科 准教授。
慶應義塾大学 文学部 人間関係学科 社会学専攻 卒業。慶應義塾大学大学院 社会学研究科 社会学専攻 後期博士課程 単位取得退学。
専攻分野は農村社会学、都市社会学、地域社会学。おもにIターンを対象とし、都市から農村への移住を研究している。山形県中部にある山村集落でのフィールドワークは10年以上。
新しい価値観の登場で定着していった言葉「Iターン」
ーなぜ「Iターン」という言葉は定着したのでしょうか?
Iターンは1980年代後半、長野県の人材還流事業から生まれた言葉です。初めは他地域から長野に移住することを「I(愛)ターン」と呼んでいました。
Iターンが知られるようになったのは、1990年代後半から2000年代に入ってからだと思います。「Uターン・Iターンフェア」など就職活動イベントで使われだして、語呂がいいので広まったのでしょう。
Iターンが定着した背景には、時代の流れもあったと思います。90年代の初めといえば、バブル経済が崩壊して景気後退期に入った頃ですね。
バブル景気までは人口も増加の一途をたどり、豊かな生活を求めて地方から都市へ人が流れていました。
ところが、バブル崩壊あたりから、こうした価値観が揺らぎ始めます。便利で豊かな都市ですが、そこでの暮らしが本当に幸せにつながってりうんだろうか、という疑問がうまれてきたわけですね。
最初に注目されてたのは「定年帰農」で、退職したリタイア組が第2の人生を求めて田舎暮らしをするというものでした。
それが、2000年代になると、定年退職者だけではなく、若い世代にも地方への移住が広がり始めました。景気が良かった頃とは違い、都市よりも農山村に価値を見出す層が増えたということでしょう。
この新しい価値観に、Iターンという言葉がうまくマッチしたと考えています。「ターン」が価値観の転換としてとらえられるようになったのは後々のことです。
現役世代が農山村地域へIターンする理由
ー現役世代は、農山村にどのような魅力を感じてIターン移住するのでしょうか
Iターン者にとって、農山村の自然環境は魅力の一つです。
彼らは例えば、自分または知り合いが作った農作物を食べることに価値を見出しています。作物が育ち、収穫され、消費される命の循環を直に目にしたいと思っています。
都会で暮らしていると生産者の顔が見えづらいですね。特に、2020年に全世界を襲った新型コロナウイルス感染症の拡大など未曾有の事態が起こると、遠くの見知らぬ人に依存しがちな自分たちの生活基盤に不安になることもあるのでしょう。
農山村への移住は、こうした都会での不安を軽減するきっかけの一つになるようです。
また、都市部で暮らしていると、どうしても社会の流れに従わざるを得ない部分があります。大きな組織の中にあっては、個人の意思は制限されてしまうでしょう。
まるで、自分が機械の部品になったような、しかも簡単に取り換えられる部品になったような気になる人もいるようです。農山村に行けば、一人ひとりが地域を構成する、他に代えがたい大事な存在であると感じ取ることができます。
農山村の暮らしでは、仕事やスケジュールを自分で管理できることが多いです。これは自律性を重視したい人にとって大変な魅力です。
ー農山村の自然に価値を見い出せなければ、現役世代はIターン移住しないのでしょうか?
いや、自然以外にも農山村のほうがチャンスに溢れるていると感じて移住をすることもあります。これは、社会階層の問題とも関連しています。
社会学者・吉川徹氏の著書『日本の分断 切り離される非大卒若者(レッグス)たち』にもあるように、90年代になって特に非大卒男性のライフコースが厳しくなりました。都市部ではチェーン店などが増え、個人商店の廃業が相次ぐ中、家業を継ぐ道が絶たれた人も少なくないでしょう。
バブル崩壊以前は、非大卒者であっても都会のライフコースが見えやすかったわけですが、景気が後退して状況が変わってしまったんですね。こうした人たちにとって、都市でチャンスを手にするのはハードルが高いようです。
一方で、土地代が安かったり、空き家を安く手に入れられたり、様々な行政からの移住支援策もある農山村は、都市よりもチャンスに溢れていると捉えられることもあります。
移住者をすすんで助ける、寛容な農山村地域
ー都会からのIターン移住者が、農山村で成功できるものでしょうか?
私の研究フィールドである、山形県西村山郡西川町大井沢の例を紹介しましょう。
その人は、もともと飲食店に勤務していました。いずれ自分の店を開きたいと思っていたものの、新規もなければ経営の知識もなく、業界にネットワークもないので、都会での実現はかなり難しいと思っていたそうです。
その人が勤務していた会社は、大井沢のある集落で農地を借りてワインを生産していました。仕事で大井沢を訪れるうちに、「この土地の方が自分に合っている。生きたいように生きられるかも」と思い移住を決意したそうですよ。
その後、地域おこし協力隊として大井沢へ移住して、今は伝統工芸を学びながらゲストハウスの開業を目指されています。ゲストハウスがうまくいけば、念願だった経営ができると喜んでいます。
面白いのが、西川町の人たちは、がんばっている若者を応援してくれるんです。ゲストハウスにする空き家も、西川町出身で都市部にいる方が、今は使っていないからと、ほとんど無償で提供してくれたそうです。
ー農山村地域は排他的なイメージがあったので意外です
多くの農山村では人手が足りていません。移住者が手伝える仕事も多く、それを日々の糧にすることで生活できます。
私が通っている山形県の集落であれば、公民館の管理人であったり、除雪のアルバイトだったり、温泉施設の清掃だったりと様々な仕事があります。こうした仕事で収入を補いつつ、本業を軌道に乗せようとしている移住者も少なくありません。
農山村では、本業以外に複数の仕事をかけもちしている人が多いので、こうした移住者の働き方も、割と普通のこととして受け入れられます。
山形県以外にも、大井沢のように移住者に協力的な地域が多くあります。以前から外部との交流が多かった地域は、移住者にも寛容なのかもしれませんね。
「中途半端な田舎ではない」大井沢の魅力
ー移住者に寛容な大井沢ですが、どのような地域なのでしょうか?
「中途半端な田舎ではない」と移住者は言います。しかし、そこが魅力のようです。
大井沢は西川町の一番奥の地域で、毎冬3メートル程積雪する地域です。マタギ(狩猟を生業にする人)の文化や伝統芸能が残っています。
ー大井沢は自然体験に力を入れているようですね
大井沢は教育旅行や自然体験の元祖をうたっています。
旧大井沢小中学校の校長が、子どもたちが採集した動植物を展示する取り組みを、昭和20年代から始めたそうです。これがもとになって大井沢自然博物館ができたのですが、今の農業体験・農村体験の元祖になったともされています。
こうした経緯もあって、自然体験に熱を入れているようですね。大井沢での自然体験がきっかけになって、あるいは自然体験もやってみようと移住してくる人もいますよ。
ーどのような人が大井沢にIターン移住してくるのでしょうか
大井沢の自然環境にひかれて移住する人は多いですね。集落の里山までブナの原生林が生えているのが珍しく、それが魅力だという人もいます。
また、大井沢は谷間の集落で、谷筋からちょうど月山(がっさん)がよく見えるんです。夕日に映える月山の美しさが移住の決め手になった、という人もいました。
もちろん、大井沢の寛容な空気が居心地よくて移住する人もいます。
他の地域と同様、芸術家や伝統工芸家が移住するケースも少なくないですね。大井沢でも月山和紙の継承のため、紙漉き職人のもとに引越してきた移住者もいます。
大井沢には「大井沢自然と匠の伝承館」があり、そこで伝統技術を実演する職人として移住するケースもありますね。他にも、移住者が地域のお祭りに欠かせない存在なったり、町内会長を務めたりしています。
柔軟な移住者のライフスタイルと大井沢のコミュニティ
ー農山村における移住では、地域に学校がないなど教育面でマイナスになることがありますよね
確かにその問題はありますが、移住者はもっと柔軟に考えているようですよ。
子育て世帯が農山村に移住しようと思うきっかけは、やはり自然環境でしょう。子どもを広々とした庭付きの一戸建てで育て、豊かな自然の中で遊ばせたいと思うようです。
ところが、子どもが成長すると、大井沢を一度離れる移住者もいます。ソーセージ工房や飲食店を営んでいる人のケースです。
その人は一度、奥さんの出産のため大井沢から病院が近くにある山形市内へ引越しました。第2子を出産するまで山形市内から西川町へ通勤する生活を続けたんですね。その後、大井沢に戻って第3子が産まれています。
そして、子どもが高校進学すると、西川町の中心部にアパートを借りました。平日は町の中心、週末は大井沢で生活するというスタイルです。子どもたちが全員高校を卒業すると、アパートは引き払って大井沢に戻って来ました。
移住について教育面での不安があるのは確かです。しかし、実際に移住者を見ていると、ライフステージに合わせてうまく対応できるのではないかとも思います。
ー大井沢の地域コミュニティは、集落を出たり入ったりする人にも寛容なのですね
大井沢の人々は、集落外から来た相手を受け入れることに慣れているようです。寄り合いに参加しても怪訝な顔をしません。それどころか「どう思う?」と積極的に意見を求めてきます。
私も、大井沢に跡見学園女子大学の学生を連れて行くのですが、すぐに名前を覚えてくれますね。ある学生は大井沢へ何度か通ううちに、住民に人生相談するようになっていました(笑)。
大井沢では、誰でも参加できる集まりがたびたび開かれます。例えば、地域づくりについての意見交換会、祭りの新しい催しを考える会など、何人かで集まって話し合う場に、私のような研究者や移住希望者も顔を出しています。
民宿やゲストハウスも、大井沢への移住希望者を地域につなぐ役割を果たしています。
民宿やゲストハウスの経営者に「移住を考えている」と伝えると、すぐにその場で住民に連絡を取ってくれるんです。集会の場所と時間を教えてくれたり、翌日に空き家の持ち主に合わせてくれたりします。
変わり続ける人の流れと地方の課題
ー新型コロナウイルス感染症の拡大で、人々の働き方も大きく変わりつつありますが、Iターンにも影響は出てくるでしょうか?
在宅勤務を経て、リモートワークが可能だと実感した人も多いようですね。これはIターン移住には追い風だと思います。
これまでは、移住のハードルの一つに職業選択がありました。それが、場所を選ばずに仕事を続けられるのであれば、地方移住も実現しやすくなります。
住みたい所に住める時代になるかもしれません。
ー先生は、今後どのようなことに注目していかれたいですか?
Iターンが広く知られるようになって20年以上が経ちます。既に地方に移住して10年、あるいはもっと長く定着しているケースも増えているはずです。
ですので、これからは、もう少し先のことが考えられる研究をしたいですね。
例えば、移住者世代の子どもたちはどうしているのか。そのまま地方に残るのか、それとも都会へ出て来るのかを調査したいなと思います。
また、現役世代の移住者が引退を考えた時、そのまま農山村に留まるのかどうかも知りたいですね。
人口減少は地方の深刻な課題です。その課題を、移住研究からアプローチできればと考えています。