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竹原 広実(たけはら・ひろみ)
空気、音、光、熱を理解し建築に活かす「建築環境工学」
—先生がご専門にされている「建築環境工学」とは、どういった学問なのですか?
建築環境工学では、形に現れない空気、音、熱、光、風などの自然現象を科学的に理解してコントロールし、建築に組み込むことを考えます。
例えば、最近であれば、屋外の環境の快適性について研究を進めています。
室内の快適性であれば、これまでも気温や湿度、風通しなどの研究がされてきましたが、外における快適性はあまり取り上げられていません。屋外の環境は天候に大きく左右され、なかなかとらえどころのない中ではありますが、休憩場所について調査をしています。
—なぜ、休憩場所について調査をしようと思われたのですか?
都市に住むメリットの一つに、様々な人との交流があります。ふとしたきっかけで、見知らぬ相手とちょっとした交流が生まれる場所が、都市のオープンスペースです。例えば、公園や休憩場所などがありますね。
私が調査対象の一つにしているのが、京都駅ビルにある大階段です。演奏会などのイベントが催されたり、大きなクリスマスツリーが飾られたりする場所なので、たまたま訪れた見知らぬ人同士で「あれは何をしているんでしょうね?」といった会話が生まれやすいんですね。
ただし、大階段が日差しの強い場所だったり、強い風が吹き込むような造りであれば、こうした交流は生まれないでしょう。そこには、一定の快適性をもった環境があるはずです。
屋外で人が滞留する場所として、下鴨神社にある糺の森も調査しています。一見、京都駅ビルとは違う環境ですが、人の交流を生む共通の快適性があると考えています。
寝室にもダイニングにもなる転用性の高い和室
—先生が「和室」の調査に取り組まれたのはなぜですか?
はじめ「和室」に着目したのは、関西の文化圏の形成について調べるためでした。
歴史上、様々な日本文化が京都から発信され、地方へと広がっていきました。言葉なんかでもそうですよね。京都で発生した言葉が、時間を経て地方に広がり、方言として残っています。
「日本文化の象徴的な存在である和室でも、言葉や食などと同じように地域差があり、調べれば関西の文化圏の形成について何かわかるかもしれない」と思ったのがきっかけです。
和室についての調査は2004年に実施し、論文「居住者の和室に対する思入れ及び要求と今後の和室の展望について」を2017年に発表しました。調査データはごく最近のものではありませんが、和室を取り巻く状況は近年も大きく変わっていないと思います。
また、人によって思い浮かべる「和室」も様々ですが、この時に実施した調査では「畳が敷かれている空間」を和室と定義しました。
—調査の結果、和室にも地域差が見られたのでしょうか
和室に関しては、地域差ももちろんあったのですが、それ以上に年代差が顕著でしたね。
調査では、若い世代は、日頃より和室に慣れ親しんだ生活をしているかどうかで「和室への思い入れ」に差がみられました。また「日本人だし将来の住まいに和室は必要」という考えは若者に多かったです。
ところが、和室は現代住宅との親和性が決して高くありません。
和室の特性は転用性の高さです。例えば、布団を敷けば寝室になり、ちゃぶ台を置けばダイニングになりますね。昼間は子どもが遊ぶ場にもなりますし、これといった目的を定めないのが和室です。
しかし、洋風建築が入ってきた明治時代以降、次第に日本住宅における「和室」の需要が変化していきました。当たり前なのですが、そもそも江戸時代までは「和室」なんて言葉はなかったですしね。
—西洋の建築が入ってきて、日本の住宅はどう変わっていったのでしょうか
西洋では、日本とは異なり個人のプライバシーを重視する傾向にあります。
そして、西洋の住宅においては、最初に家具を配置して部屋の用途を定めます。ベッドを置いたら寝室、机を置いたら書斎というふうに、各部屋の名前が決まってしまうので用途はずっと変わりません。
そうして、日本で洋風建築が取り入れられるようになり、部屋の使い方がだんだん変わってきました。
現代住宅では和室の転用性があまり機能していない
—現在、日本の住宅で和室が減っているのは、洋風建築化したからなのですか?
複数の原因が考えられます。戸建てが減り、集合住宅が増えたこともそうです。
集合住宅では、どうしても住宅面積(床面積)が限られますね。リビングやダイニングがあらかじめ設定されていて、そこに加えて寝室や子ども部屋を割り振ると、和室の転用性はあまり機能しなくなります。
住宅面積に余裕がある、客間として設置するといったことがなければ、集合住宅に和室は必要ないわけです。優先順位が低くなっているのでしょうね。
—では逆に、和室のある家庭においては優先順位が高いのでしょうか?
統計的に有意とまでは言えないのですが、東北地方では他の地域に比べて和室数が多いことが調査でわかりました。ところが、そこで暮らす人たちは、和室のことがあまり好きではないと言うんです。
和室が好きではない人は、畳の上にカーペットを敷くなどして洋間に転用されているんですね。これでは和室とは言えませんね。
つまり、和室があるからといって、和室の優先順位が高かったり、思い入れがあったりするわけではないのですね。それよりも、個室が欲しい、使い勝手が悪いといった思いを抱いているようです。あくまで推測の域ではありますが。
和室が廃れるのは時間の問題かもしれない
—和室の良さを知る人が、どんどん減っていってしまいそうですね
和室は本来、木造住宅との親和性が高い部屋です。
木造住宅における和室は、気密性が低いですね。私たち日本人は、襖越しに隣の部屋の話が聞こえたり、動く気配を感じるとこで、互いを思いやりながら生活してきました。
相手に気を配る文化が日本の良さでもあったのですが、今はどうしてもプライバシーが重視される時代です。私たちの生活様式が変わってしまったということでしょうか。
木造住宅が減少すれば、和室が廃れるのは時間の問題です。一方で、最近では鉄骨を入れた木造住宅などハイブリッド構造の建築も生まれているので、和室もそこに組み込まれていけばいいのかなと思います。
—今後ますます和室が減っていくと、日本の伝統技術が継承されなくなるのではと心配になります
以前、日本襖振興会で講演をした際に、襖業界の方々と直接話をする機会を得ることができました。そこで感じたのは、襖への理解が薄れていっている現状です。
襖というものは、時を経ると黄ばんだり赤茶けたりします。しみが目立つこともあります。
私たちは、襖の変色を「汚い」と思うかもしれません。しかし、襖協会の方によれば、あれは「襖が空気中の汚れを吸い取ってくれている」のだそうです。
つまり、襖は役目を果たすからこそ汚れるわけなんですね。汚れたら襖紙を張り替える合図というわけです。
最近では、プラスチックやガラスのシートで作られたキャラクターものの襖紙も売られています。しかし、それでは襖の本来の役目は果たせませんし、技術の継承にもつながりません。
畳や障子、襖についても同じで、いずれも後継者不足が課題で、それに伴い日本建築の技術が伝承されず途絶えてしまうことが懸念されます。畳であれば、い草は生産量が減る一方ですし、そこは大いに懸念するところですね。
自然素材に囲まれた和室は、夏も冬も居心地が良い
—和室の良さや利便性を知れば、もっと積極的に取り入れたいと思う人も増えるかもしれませんね
和室って、特に夏は気持ちいいですよね。風通しの良い部屋で、い草の香りに包まれると安心します。畳のさらりとした感触も心地良いものです。
畳には保温性もあります。冬にフローリングを素足で歩くと冷えてしまいますが、畳であればそうなりません。
建築環境工学の観点から見ても、土壁や畳、襖、障子といった自然素材は調湿性、通気性、環境調節機能などを備えていて、他の何ものにも代えがたいものだなと思います。
ただし、これらのメリットは和室を経験しなければ知ることができません。
これは私の考えですが、和室に興味があるのであれば、茶道や華道などの習い事を通して、畳や襖、障子に囲まれた空間を体験してみるのもいいと思いますよ。和室に触れてその良さを知れば、将来的に和室のある住宅に住みたいと考えるかもしれません。
—先生方の調査では、和室への思い入れに年代差があったということですが、和室自体はどの年代でも受け入れやすい存在なのかなと思いました
子どもが遊ぶ部屋としても、和室は安全で快適と言えるでしょう。小さい子が転んでも、畳の上であれば怪我をしません。
高齢者の方々にとっても、和室は床に近い位置で過ごせるので安心感があるようです。これまでの生活に深く関わってきた分、愛着があるのだと思います。
中年層は和室の実用性への評価は高い反面、畳や障子、襖の手入れが面倒だから和室は必要ないという意見が目立ちました。メンテナンスを気にする年齢層なのでしょうね。
手入れが面倒といった点をのぞけば、日本人は和室が好きだと思いますよ。
しかも、畳の手入れは、知ってみると思ったほど面倒でもありません。障子紙の貼り換えも、手軽にできる便利なものがホームセンターなどで入手できます。
畳だけでなく、襖や障子もちょっとした手入れを続ければ、長年使い続けることができます。自然素材に囲まれた和室は、環境にも健康にも良い空間といえるでしょう。